ジェンダーについて考える
注意
真面目な記事ではないです。
はじめに
昨今、旧来の男女という性別の区分では不十分だとし、セクシャルマイノリティの中のマジョリティの頭文字を取ったLGBTQなどという呼称が広がっている。
しかし、男女2つでダメだったからLGBTQの5つを足すだけではいつかまた何かしらの障害にぶち当たるのではなかろうか。そこで、本記事ではあらたな性別表現の方法を考える。
本論
身体
まず確実な区分が身体の性である。両性具有を考慮するとなると連続値であると考えられる。
性自認
トランスだけを考えるなら身体の性と同様に値として考えられる。ただ、クエスチョンのような曖昧な存在も含めて考えるには確率分布で考える必要がある。
性的指向
レズ、ゲイ、バイなどは性的指向を組み込んだ性別である。性別を考えるときに性的指向を考慮するのは出生主義的に思えるが、LGBTQの拡張を考えたいのでこれも考慮する。
性的指向は先に述べた身体の性、精神の性を考えればいいのでこの2次元が加わる。この2次元平面上の確率分布で表す。
ジェンダー超空間
身体の性、精神の性、性的指向の身体の性、精神の性の計4次元である。身体の性は値で定まり、他は確率分布で表されるので性別は3次元の霧として表せるはずである。
書面なので社会的性を記入する欄があるが、本当にその情報が必要なのならば、この霧を表す数式や超空間の図のデータを提出すれば良いのではないかと思う。それが必要ないのならば、そもそも社会的性なんて概念をシステムに組み込む必要もないんじゃないかと思う。
トイレ、銭湯なども、元々性別が別れていなかったものを男女に分けるようになったのならば、最終的には個人レベルで分けられるようになり、それは何も分けていないのと同じなのではないか。
ということで、社会的性は人それぞれ違うので、LGBTQ等という区分自体必要なのだろうかというのがこの記事の言いたいところである。
あとがき
そもそもこんなことを考え出したきっかけはBoy's Surfaceで何でもかんでも数学っぽく考えるノリに影響を受けたのと、
性的指向は連続的(彼らはそのようには捉えていないでしょうが)とみなされており、異性愛や同性愛といった概念は奇妙で制限的であるとみなされます。
サーキシズムへの人類学的アプローチ──ケーススタディ01: サルヴィのヴァシニャ
という架空の宗教についての考察がずっと記憶に残っていたからである。